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札幌地方裁判所 昭和50年(ワ)2012号 判決

原告

串崎英哉

右法定代理人

串崎政子

右訴訟代理人

富樫基彦

被告

丸谷暢

右訴訟代理人

山根喬

右訴訟復代理人

太田三夫

被告

丸山輝夫

右訴訟代理人

山本穫

主文

被告丸谷暢は、原告に対し、金三、五六三万六、五二四円、および、うち金三、四一三万六、五二四円に対する昭和五〇年三月六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被告丸谷暢は、原告に対し、昭和五二年五月から原告の退院時まで毎月末日限り金一六万〇、八〇〇円を支払え。

原告の被告丸谷暢に対するその余の請求、および、被告丸山輝夫に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用中、原告と被告丸谷暢との間に生じたものは同被告の負担とし、原告と被告丸山輝夫との間に生じたものは原告の負担とする。

この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者双方の申立

一  原告

「(一)被告らは、各自原告に対し、金三、九〇五万三、八〇三円および、うち金三、六五五万三、八〇三円に対する昭和五〇年三月六日から完済に至るまで年五分の割合による金員、ならびに、昭和五一年七月から原告の退院まで毎月末日限り金一六万三、〇〇〇円をそれぞれ支払え、(二)訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決、ならびに、第一項前段について仮執行の宣言。

二  被告ら

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二  当事者双方の主張

一  請求原因

(一)  交通事故の発生

被告丸谷暢は、昭和四七年一二月一日午後八時三五分ころ、普通乗用自動車(札五ゆ一五五九号。以下、加害車という)を運転して、小樽市稲穂一丁目一二番九号先の東西に走る国道五号線と南北に走る道々小樽仁木線との交差点を、国道五号線の西方から道々小樽仁木線の南方へ向けて右折進行中、折柄右交差点南側の横断歩道を、前方の信号機の青信号に従い西方から東方へ向け歩行中の原告に右加害車を衝突させ、原告をその場に転倒させた。その衝撃により原告は頭蓋内血腫の傷害を負つた。

(二)  診療事故の発生

原告は、事故後間もなく近くの小樽市富岡一丁目一〇番九号丸山外科医院に運ばれ、昭和四七年一二月一四日まで同医院に入院して医師被告丸山輝夫の治療を受けたが、その間、同被告において開頭手術を施すことなく時を過したため、右一二月一四日札幌医科大学病院に転院し、亜急性硬膜下血腫兼脳挫傷と診断され直ちに開頭手術を受けるもすでに時機を失し、右血腫の増大と脳挫傷により脳損傷が広範囲に及び、脳機能全般に障害が生じて、今後一生涯入院加療を要する状態となつて現在中村脳神経外科病院に入院中である。原告の右後遺障害の程度は自賠法施行令別表の後遺障害等級一級に該当する。

(三)  被告らの責任原因

被告らは、以下の理由により、原告に対し共同してその被つた損害を賠償する責任がある。

1 被告丸谷

右被告は、加害車を所有し、これを自己のため運行の用に供していたものであるから、加害車の運行により惹起された本件事故に基づく後記損害を賠償する責任がある。

2 被告丸山

右被告は、右交通事故発生直後、原告の診断・治療を承諾したことにより、原告との間に医療契約を締結したものであるから、同被告は原告に対し、現代の医学水準に従つた誠実な医療を施すべき債務を負担したものであるところ、原告には当初から頭頂部挫傷、脳挫傷が明らかに診断され、かつ、入院当日から逆行性健忘の意識障害が、翌二日目から意識混濁、見当識障害および仮眠状態に陥いるなどの意識障害が、五日目には嘔吐・失禁がそれぞれ認められ、右各症状は、いずれも、硬膜外血腫または硬膜下血腫に一般的にみられるものであるから、現代の医学水準に準拠すれば、右五日目の時点で、右血腫のあることを疑い、かつその点に関し、適正な診断を下すため脳血管撮影による検査がなされるべきであるのに、右症状を単に脳挫傷による脳浮腫症状と判断して、右検査を怠つたため、硬膜下血腫の診断ができず、そのため本件の医療契約上さらに同被告に要求されるべきその後の一連の措置、すなわち、自ら速やかに右血腫除去のため開頭手術をなすか、自己においてなすことが困難な場合には右手術の可能な病院に転院するよう勧告すべき措置もなされなかつた。原告は、同被告の右債務不履行により前記のとおり同月一四日まで右血腫除去のため開頭手術が受けられず、そのため、前記の重篤な心身状態になつたものであるから、同被告は、これにより原告の被つた後記損害を賠償すべき義務がある。なお、脳血管撮影は造影剤の改良に伴ない、重篤な障害を来たすことは殆んどなくなり、また硬膜下血腫について早期に開頭手術を施せば殆んど後遺症なしに完治しうるものである。〈以下、省略〉

理由

一被告丸谷に対する請求について

1  本件交通事故と原告の受傷について

請求原因(一)の事実は、右事故発生の態様、および、傷害の結果、程度を除き当事者間に争いがなく、成立に争いのない〈証拠〉によれば、被告丸谷運転の車両(加害車)が歩行中の原告に衝突して原告を路上に転倒させ、その結果原告に、外傷としてはその頭頂部に鶏卵大の皮下血腫(たんこぶ)を負わせたことが認められ、被告丸谷暢本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用し難く、他に右認定を動かすに足る証拠はない。もつとも被告丸谷は、加害車のボンネツトの高さが地上七五センチメートルであることから、右事故によつて原告の頭頂部に右のような皮下血腫が生じることは物理的に不可能である旨主張するが、本件全証拠によつても、右交通事故の以前に原告の右のような皮下血腫について、これをもたらすような出来事があつたとは認められないのみならず、前記各証拠(とくに乙第五号証)によれば、原告は加害車に衝突された後、加害車のボンネツトにもたれかかるようにして約二メートル程加害車に押された地点で路上に転倒し、被告丸谷が車から降りて見た時にはボンネツトに正対して尻もちをついた状態であつたこと、同被告は、衝突の前後における原告の状況についてはこれを見ていなかつた旨供述していること、さらに、同被告は右事故後できるだけ早く医者に診断させるべく、最寄りの丸山外科病院に原告を運んだこと、以上の事実が認められ、この反証はない。そうすると、右のような事故の態様に照らせば、原告の右受傷は加害車と衝突し路上に転倒するまでの間に生じたものと推認され、右交通事故を除いて原告が右傷害を負つたとの事跡も窺われないから、原告の右受傷は、本件交通事故によつて生じたものと認めるのを相当とし、被告丸谷暢本人尋問の結果中、原告と加害車との接触の際に原告は加害車に触わつたという程度にしか感じなかつた旨の供述部分は、右傷害の程度、右事故後の同被告の行動に照らし採用し難い。

次に、〈証拠〉によれば、本件交通事故発生の二〇ないし三〇分後、被告丸山において原告を診察したところ、原告について、右頭頂部皮下血腫の外傷のほか、逆行性健忘、見当識障害といつた軽度の意識障害が認められてこれが翌日以後も続いたため、原告はさらに脳挫傷の傷害を被つているものと診断したこと、ところで原告は、その後昭和四七年一二月一四日札幌医科大学病院に転院するまでの間別紙のとおり(但し、一二月五日については便・尿の項目につき失禁があつたこと、および、その他の項目につき嘔吐があつたことを加える)の症状を呈した後、同日同病院において亜急性硬膜下血腫兼脳挫傷との診断を受け、即日開頭手術を受けたが、それまでの間に原告が身体に受けたと認められる外力は、丸山外科医院に入院中の初期の段階において、便所に行こうとして自ら転倒した際の衝撃があるだけであり、しかも右転倒直後、被告丸山において診察したところでは、原告の身体のどこにも打撲のあとが認められなかつたこと、以上の事実が認められ、〈る。〉〈以下、中略〉

よつて検討するに、右認定の原告の外傷、および、その他症状の推移(とくに事故後二、三日の間の症状)からみて、本件交通事故によつて原告の受けた打撃は、強度なものと認められる。これに対し、右転倒は、入院初期の時点において生起し、打撲のあとがなかつたと認められているほかは、具体的な日時、具体的な状況、打撃の個所等については明らかではなく、従つて、これらの事実から判断すると、少なくとも右転倒により頭部に強力な打撃が加わつたものと解することができない。また、〈証拠〉によれば、被告丸山は原告の前記のような症状に対し、別紙記載のとおりの処置をとつたことが認められ、右認定に反する証拠はないところ、右処置の経過によれば、入院第四日目において、前三日までの治療と比較し酸素吸入、付添い、導尿、尿量測定、クロマイ、デカデユラボリン二五ミリの治療が加わつたことが認められるが、右治療方法の変化あるいは前記の右入院第四日目以降の症状の変化は、本件交通事故によるもの以外に新たな何らかの外力が加わらなければ説明できないほどのものとは認めることができない。

してみると、原告の右硬膜下血腫の傷害は、結局本件交通事故に基因するものと推認でき、この反証はない。そして、〈証拠〉によれば、原告は、右硬膜下血腫除去のため前記の開頭手術を受けたが好転せず、現在も感情や意志、ないし随意運動の表出はほとんどみられず、昏迷ないし意識水準の低下をともなつた脳機能全般が著しく障害された状態が続いており、今後とも大幅な改善をみることは期待できず、入院継続の必要があることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

2  被告丸谷が、本件加害車両を所有し、これを自己のため運行の用に供していたものであることは、当事者間に争いがない。

3  以上によれば、原告の右心身状態は、本件交通事故に基因し、かつ被告丸谷において自己の運行の用に供していた加害車の運行により惹起されたものであるから、被告丸谷は原告の後記損害を賠償する義務がある。

なお、同被告は、被告丸山において入院第四日目あるいは第五日目において、原告を専門医に転院させ、それによる診断・治療を受けさせるべきであつたのに、同被告においてこれを怠つたため、原告に対し亜急性硬膜下血腫の傷害を負わせたものであるから、右傷害について被告丸谷には責任がない旨主張するが、すでに述べたとおり、原告の硬膜下血腫は本件交通事故の際の打撃に基因するものと認められる以上、仮に被告丸山に、右主張のような過失があつたとしても、共同不法行為の成立するのは格別、被告丸谷において責任を免れるものではないから、右主張はこれを採用することができない。

二被告丸山の責任について

原告が、昭和四七年一二月一四日札幌医科大学病院において亜急性硬膜下血腫兼脳挫傷の診断を受け、即日開頭手術を受けたことは原告と被告丸山との間において争いがなく、右事実に、前認定の右開頭手術により右血腫を除去しても、すでに脳機能全般が著しく障害されていて今後とも回復が期待できないとの事実さらには、前示のような交通事故による受傷の状況等を併考すると、原告の右硬膜下血腫は本件交通事故後間もなく発生し、爾後においてもこれが消退せずにかえつて増大し、その病的状態が継続していたものであり、かつ、原告の脳機能の全般的障害は、右血腫に基因し、結局は開頭手術の遷延等によるものであると一応これを推認することができ、又、被告丸山輝夫本人尋問の結果によれば、被告丸山医師は、右一四日早朝に至るまで、原告の病的状態は、脳挫傷による脳浮腫であると診断し、頭蓋内出血については、可能性の域を出ていないと考えていたことが認められるから、これら医療行為を事後的に、従つて又、発生結果から客観的にみる限り、被告丸山は原告の病的状態を必ずしも正確には診断するに至らず、ひいては、事態に即応した転医を含む適切な処置を実施することがなかつたということができる。

ところで、原告が主張する債務不履行構成によるとしても(医療過誤訴訟に、かかる構成が必然的かはしばらく措く)、医療契約に基づく診療債務については、これを手段債務と解すべきであるから、まず、治療の手段ないしその前提としての診断については、医師として事態に即応した検査ないし問診等を実施して確診のための努力を重ねることが義務づけられており、その検査方法の採否、収集されたデーターによる診断についても、それが、診療時において一般的に是認された医学上の原則に準拠したものであり、かつ、症状発現の程度と認識の手段との相関においてそれが合理的と認められる場合、ついで、療法についても、かかる診断に基づき、適応の肯定できるとみられる薬剤等による治療方法を実施することで足り、治癒の結果の招来それ自体は債務の目的をなさず、むしろ、患者の症状に応じた対症療法を講じ、さらには、具体的療法の実施に代え、安静等の処置をとつて、病状の拡大を防ぎながら、経過を観察する等した場合にあつても、かかる措置が、医学・医療の水準上相当と認められる場合には、医師の診療について帰責事由がないと解するのが相当である。

よつて、検討するに、〈証拠〉によれば、被告丸山は、事故当夜、被告丸谷から、本件交通事故は、交差点附近で対向バスのライトがまぶしく、原告がみえずに発生したとの説明を得たが、原告の頭頂部に鶏卵大の挫傷があるのを認めたので、当初から、原告につき、頭蓋内出血を全く考慮の外に置いたわけではなく、その初診の際において、レントゲン写真撮影をし、頭蓋骨骨折の有無を確認したほか、問診、視診、触診によつてその診断に努めた結果、原告は、意識状態については逆行性健忘の異常が認められたが、血圧測量、体温測定、聴診器での打診、聴診による全身状態の検査において異常はなく、腱反射、瞳孔の状態、他の外傷の有無についての視診といつた局所症状の検査においても、格別異常がなく、さらに問診の結果でも、原告は、住所の番地を思い出せなかつたほかは、氏名、生年月日等について答え、前記受傷の個所以外に特に頭痛はなく、また吐き気もないということであつたこと、そこで、被告丸山としては、原告の受傷の状況について聞きただしたが、原告も被告丸谷においても全然わからなかつたとの返答であり、とくに、被告丸谷からは、その運転にかかる自動車は、交差点で停まる寸前であつたから、なぜ前記のような傷害(こぶ)が頭部に出来たか不思議であるとすら聞かされ、そうひどいシヨツクではねとばされる状態ではないとみられていたので、以上の検査結果を総合勘案し、原告については、単なる頭部打撲であるとの診断に一時は傾きかけたが、前記のような逆行性健忘の事実をも考慮して、経過視察を継続することとし、原告を丸山外科医院に入院させることとしたところ、原告は、被告らに付添われ歩いて三階の個室に入つた。原告は、その後昭和四七年一二月一四日早朝までの間前記一の1記載のとおりの症状を呈しているのであるが、被告丸山は、右臨床経過から、原告について、軽度の意識障害が四日ほど継続した時点で脳挫傷の診断をしたものの、前記の全身状態の検査、局所症状の検査において格別異常が認められず(但し微熱は続いていた)、とくに、脳浮腫についての診断に重要である瞳孔の対光反射、大きさ、左右の差において異常が認められなかつたことから、頭蓋内出血の疑いを抱くまでには至らなかつた(なお、硬膜下血腫にあつては、血腫と同側性の瞳光の対光反応の遅鈍、拡大などをみるとされている)、その後被告丸谷は、原告が医院内で手洗へ行こうとして転倒したとの事実を聞いたが、病状については入院第四日目ころが峠であると考え、そのころから導尿ないし酸素吸入等を実施することとし、さらに、以後原告について失禁すらみられ、また同日の朝には嘔吐がみられたが、その瞳孔の状態、腱または筋の病的反射の局所症状、および、前記の全身状態については変化がなく、そのため被告丸山において、それまでの検査結果、臨床症状などを総合して判断し、脳挫傷による脳浮腫状態と診断し原告について、脳挫傷に基づく二次的な脳の実質の浮腫があり、その症状として意識の軽度の混濁状態が継続するとみていたこと、被告丸山は、このような診断に基づき、別紙のとおりの処置をとつてきたが、原告は同月七日(入院第七日目)からは意識恢復、見当識恢復があり、体温も平熱となるなど症状の好転をみせたので、被告丸山は、右脳浮腫の状態が改善され、意識の状態も良くなつたものと判断していた、そして、同月六日の腰椎穿刺による脳脊髄液の検査でもしくも膜下出血の疑いはなく、前示頭頂部の挫傷も平たくなり消失に向つていたこと、ところが、同月一一日から意識状態が漸次悪化し始め、同一二日は、右とほぼ同一の状態で経過し、同月一三日午後一〇時ころには相当な刺激を与えないと目をさまさず意識の混濁状態が進行してきたようにみられ、翌一四日未明には半昏睡状態となり、上下肢に軽い運動麻痺も発現し、右側腱反射の鈍化をも認めるに至つたため、被告丸山において、頭蓋内出血による症状であると判断し、右症候が頭蓋内出血(血腫)に特徴的な意識の清明期の終えんであると認めたので、すでに原告について要手術の状態にあるものと考え、急拠札幌医科大学病院に連絡して、検査のほか手術等を実施できるように手配し、同日午前九ないし一〇時ころこれを転医させたこと、ところで、札幌医科大学病院に入院した時点においても原告の瞳孔には異常所見が認められなかつたほどであり、結局これらの局所症状が当初から頭蓋内出血を疑わせる症状について観察していた被告丸山においても頭蓋内出血ないしその疑いを診断するに至らなかつたこと、また、原告と被告丸山とは、小学および旧制中学時同学年であつたが、原告は、幼少時からややどもる傾向があり、右は、素質上てんかんと全く無関係でないと考えられていること、以上の事実が認められ、〈る。〉〈以下、中略〉

そこで、以上認定の事実関係に基づいて判断するに、原告が被告丸山による診療の当初からその頭頂部を受傷していた事は明らかであり、かつ、その後において軽度の意識障害が続いていたうえ、入院五日目には失禁・嘔吐がみられたけれども、〈証拠〉によれば、一般的に、脳浮腫における意識障害は、脳損傷の程度を端的に表現し、予後判定上、最も価値の高い臨床症状の一として重視され、従つて、意識障害が必ずしも頭蓋内出血における唯一かつ定型的症状でないと認められるばかりか、外傷に起因し二次的に起る脳浮腫にあつても、意識の清明期間(間歇期)があるとされ、右出血(血腫)について特徴的とされる清明期の存在についても、それが、顕著に推移しないのみならず、その時期が経過した後において、漸くそれと、判明するものであつて、他方前示のような原告の全身状態で、局所症状に異常所見が認められず、とくに、頭蓋内出血について重要な瞳孔の状態については、丸山外科医院退院以後においても異常が認められなかつたのであるから、受傷の状況、および、問診の結果、とくに、その重要性を熟知していると認められる医師である(ママ)被告丸谷から事故そのものがひどい状態ではなかつた旨の状況の説明を得ていたこと等を総合して判断すると、被告丸山が原告の病的状態を脳挫傷による脳浮腫状態と診断したのは医学の水準上合理性があり、かつ、これを前提にして浮腫をとるべく、その吸収薬剤、脳の血液を良好にする薬剤等による治療を実施しながら、頭蓋内出血を疑わせる症状の発現に留意して経過を観察することとした処置は、その医療行為の時点における医療の水準に照らし、相当であつたと認めることができる。もつとも、本訴訟において、被告丸山は右診断の重要な基礎とされた瞳孔の対光反射について、左右差が最後までなかつたことが迷彩となり、又私見であるが受傷による血腫が頭頂部の真中であつたことが、右検査方法の実効性を稀薄化した旨述べているけれども、この実効性の条件整備を診療時において期待し得たとする資料もなく、これを肯定することはできないであろう。

なお、被告丸山において脳血管撮影をし、頭蓋内出血の有無を確認すべきであつたかに関しては、〈証拠〉には、造影剤の改良によつて脳血管撮影に随伴する合併症は著明に少なくなり、ウログラフインが広用されて重篤な障害をきたすことはほとんどなくなつたとの記載があるけれども、右同号証、および、被告丸山輝夫本人尋問の結果によつても、右撮影は、造影剤なる異物を脳血管に注入するものであり、患者の病状、および、特異体質を含む条件によつては、合併症等の危険性が無視し得る程度に少ない(その頻度が絶無である)わけではなく、とくに被告丸山は、脳内に浮腫があり、出血のため意識の障害があるという状態下でこれを行うと、意識障害の増悪、ひいては、呼吸麻痺、けいれんが生起するとの事態が報告されているとし、同丸山においても、従前、脳実質に障害のある症例に数多く当つて来ているが、造影剤による検査はこれを実施せず、その必要を認めるときは脳外科へ廻すようにしていたことがそれぞれ認められ、右撮影による場合には、さらに、問診、ないし、瞳孔の対光反射等による検査方法に比し、必ずしも容易に実施し得る措置というを得ないことを考慮すると、頭蓋内出血に随伴する症状が発現していた場合であれば格別、本件のように症状が定型的に発現せず、むしろこれを否定することを可能とする問診等の結果、ないし臨床症状が認められていた場合においては、直ちに脳血管撮影による検査(そのための転医を含む)を行うべきか、脳挫傷による脳浮腫状態との診断による対症療法を講じ、頭蓋内出血を疑わせる症状の発現に留意しつつ経過観察を行なうべきかは、医師による検査ないし療法の実施における高度に医学的な判断に属するものというべきであり、これら患者の状況等を比較検討のうえ、被告丸山医師が右後者の判断に依つたからといつて、その診療経過によれば、現代医学の水準上医師について裁量の限界を逸脱したものとは直ちに認め難い。ついで、医師の診断に誤りがないとの判断により、複合的医療過程における医師の責任が全部的に排除されるわけではないから、被告丸山が右診断を修正して、頭蓋内血腫の存在を診断し、ないしはその疑いの程度に応じ直ちに転医を含む医療措置を講ずべきものであつたか否かについて考えるに、前示のとおり、被告丸山は、脳挫傷による脳浮腫との診断のもとに治療をし、原告の症状(とくに意識状態)に好転がみられ、その後同月一一日から漸次意識状態が悪化しつつあつたものの、その他の全身状態、局所症状については同月一四日早朝に至るまで一貫して特段の異常所見を認め得なかつたのであるから、さらに特段の検査方法を実施して右診断を修正すべき状況にはなかつたというべきであり、その他被告丸山の経過観察の態度、診断に対してとられた処置については、すでにみたように平均的な医師について要求される事項が履践され、頭蓋内出血の疑いが認められた段階においては、可及的速やかに転院の措置をとつているものであるから、この点においても、同被告について、結局帰責事由を肯認することができないというべきである。なお、被告丸谷暢本人尋問の結果中には、旭川医大の武田教授が、原告についてのカルテ、レントゲン写真等に基づき、被告丸山による診療開始後五日目の時点で転医させるべきであつたと述べているとする部分があるけれども、推測かつ伝聞によるものとして直ちにこれを採用することができない。

三原告の損害について

1  逸失利益について

原告は、前記認定のとおり現在感情、意志ないし随意運動の表出のほとんどみられない状態が続いており、今後とも大幅な改善をみることは期待できないものであるから、労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認められるところ、原告が大正一一年七月一五日生まれの男性で、本件交通事故当時国鉄職員であつたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば原告と同性、同年齢の者につき、統計上本訴提起当時の平均余命が21.34年であり、少なくとも昭和六五年三月三一日までは、右職業の継続ないし転職を前提としても稼働可能であると認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。そうすると、原告は、本件交通事故がなければ、右の時点まで稼働することができたものと推認でき、この反証はない。〈証拠〉を総合すると、原告は、国鉄の職員賃金規準基程および諸通達により、右稼働可能期間のうち、昭和五五年三月三一日までは国鉄に勤務することが可能であつて、年一回の昇給といわゆるベースアツプにより、昭和四八年六月一八日から同年一二月三一日までの間は総額金一四〇万六、三二〇円の、昭和四九年一月一日から同年一二月三一日までの間は総額金二七七万三、七六〇円の、昭和五〇年一月一日から昭和五五年三月三一日までの間別表一の1の内訳欄記載のとおりの基本給、扶養手当およびその他の諸手当を得ることが可能であつたところ、本件交通事故に遭遇して前記のとおりの経過をたどつたため、昭和四八年六月一八日から昭和四九年六月一七日までの間休職(右基準、諸通達に基づく俸給の二〇パーセント減を余儀なくされ翌一八日付で将来に向けて無給職員となつたうえ、昭和五一年四月一日には整理退職となつたため右各年度につき、それぞれ別表一の1の年間総額欄記載のとおりの収入の喪失となり、右のうち昭和五二年度ないし昭和五五年度の分をライプニツツ方式により現価に換算すると、表二の1記載のとおりとなつて、以上の給料、諸手当の逸失利益の現価合計は金一、九四六万二、五八三円となること、なお退職金については、昭和五一年三月二四日および同年一一月三〇日に合計金一、二七八万三、八三五円の支給を受けたが、右の金額は本件事故がなければ定年退職する昭和五五年三月三一日において支給を受くべきものと算定される金一、三九四万三、四六三円の現価(ライプニツツ方式、ホフマン方式のいずれに基づいて算定しても)を上回るから、逸失利益はないものとせざるをえないこと、右国鉄退職予定時であつた昭和五五年三月三一日から前記の稼働可能期間である昭和六五年三月までの間の得べかり収入については、本件交通事故までの原告の健康状態、経歴などを考えると、右時点における原告と同年齢、同性の者につき、労働省発表昭和四八年賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、男子労働者、年令別きまつて支給する現金給与額と年間賞与その他特別給与額の統計による平均収入を下回ることはないと考えられるから、右統計による平均収入額別表3の(1)、(2)記載の各年間収入を喪失したものというべきであり、ライプニツツ方式によるその収入現価は別表二の2記載のとおりとなり、合計金一、三六四万九、五七三円であること、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。以上によれば、原告は合計金三、三一一万二、一五六円の得べかりし利益を喪失したものと認めることができる。

2  付添費および入院諸雑費

原告が、本件交通事故に遭遇して以来、丸山外科医院、札幌医科大学病院、中村脳神経外科医院に入院して治療を受けてきたこと、および、今後とも入院の必要があることは当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、原告は前記の心身状態のため、日常生活に必要な行動はおろか、生存を続けていくために必要とされる行動すらもできない状態であり、一日二四時間の付添を必要とし、また入院期間中入院生活に必要とされる雑貨等の購入のため応分の出捐を必要とされること、昭和五〇年二月から昭和五一年六月までの右付添料および入院諸雑費の合計は金二三六万七、四二五円であり、その後の昭和五一年七月一日からは一日につき、付添料として金五、〇六〇円、前記症状等に照らし相当な入院諸雑費として金三〇〇円の合計金五、三六〇円の出捐が必要とされること、以上の事実が認められ、右認定を動かすに足る証拠はない。そうすると、昭和五一年七月一日から昭和五二年四月三〇日までの右付添料および入院諸雑費の合計は金三七四万六、六四〇円となる。さらにその後の付添料および入院諸雑費については、月平均(三〇日として計算)金一六万〇、八〇〇円となることが明らかであり、原告は退院時まで毎月金一六万〇、八〇〇円の出捐を余儀なくされるものとみられる。

3  慰藉料

前示認定の本件交通事故の態様、その後における原告の入院治療の経過、とくに、今後回復が期待できない前記の重篤な心身状態にあることなど、本件にあらわれた一切の事情を総合勘案すると、右事故によつて、原告が被むつた精神的苦痛は金八〇〇万円で慰藉されるのが相当であると認める。

4  弁護士費用

原告法定代理人が本件訴訟を原告訴訟代理人に訴訟委任したことは当裁判所に顕著な事実であり、本件事案の性質、立証の難易、審理期間、認容額等諸般の事情を考慮すると、弁護士費用中金一五〇万円をもつて、本件事故と相当因果関係を有する損害と認める。

5  被告丸谷は、右損害金のうち、逸失利益のうちの金五七二万二、二七二円、付添料入院諸雑費のうちの金二三六万七、四二五円、慰藉料のうちの金五〇〇万円についてすでに原告に支払済であることは当事者間に争いがないので、これを控除する。

四してみると、原告の本訴請求は、被告丸谷に対し金三、五六三万六、五二四円、および、うち弁護士費用を除く金三、四一三万六、五二四円に対する不法行為の後であり、かつ、本訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和五〇年三月六日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金ならびに、昭和五二年五月から原告の退院時まで毎月末日限り、その月分の付添料および入院諸雑費の合計金一六万〇、八〇〇円の支払いを求める限度において理由があるから認容し、被告丸谷に対するその余の請求および被告丸山に対する請求は、いずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(稲垣喬 増山宏 高橋勝男)

症状〈省略〉

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